バチェラー3最終話の感想 ─友永真也への失望に思う─
なんといってもこの週末はバチェラー3最終話にすべてを持っていかれてしまった。
忘れようと思ってもなかなか頭から離れず、感想を書いて整理することでこのモヤモヤを供養したいという一点をモチベーションにこの記事を書く。
なお、出演者のインスタが酷いとか、経歴を伏せてるとか、色んな批判もあるみたいだけれど、 僕はちゃんと調べたわけではなくその真偽の判別もできないため、今回の感想は「本編」を見て思ったことに留めておく。( それでも大分酷い。。)
それではスタート。
一にも二にも、とにかく3代目バチェラー友永真也に失望した、ということに尽きる。
人が人に怒ったり失望したりするとき、その"行動そのもの" が問題である場合と、行動に付随する"態度" の問題である場合があると思う。
今回の僕の失望は後者だ。
正直言って、「好きかわからない」と言われた恵をあの場で指名できなかった気持ちも、最終回後に結局忘れられず会いに行ってしまう気持ちも、少し察するところはある。
水田さんと別れずに会いに行ってしまったなどの問題点はあるものの、バチェラーとしての苦悩や葛藤をこちら側が想像できないわけではない。
つまり、"行動そのもの"は共感の余地がないわけではない。
そもそも人間なんて欠点のひとつやふたつ誰にでもあるもので、「まぁそういうところもあるよね」くらいにその欠点に目をつむって人間関係というのは成り立っているものだと思う。
ただし、共感したいと思えるかは別の話だ。
最終回、ステージに登壇したバチェラーに、番組をぶち壊した反省や、水田さんへの申し訳ない気持ち、というものを僕は一ミリも感じ取ることができなかった。
彼に感じたのは、「自分の心の声に従った、そしてやりきった」という不快な清々しさだった。
恵を好きなのだから仕方ない。それは確かにそうかもしれない。
そのままの中途半端な気持ちで水田さんとお付き合いを続けても、双方幸せにならなかっただろうとも思う。
でもそれでも、水田さんや番組制作者、視聴者をあの場で軽んじていいことには絶対にならない。
「中川さんを落とすときに、ローズセレモニーの準備をしてくれている美術さんのことが気がかりでした」なんてどの口が言ったのだろう。
自分の心に従うためなら、他の人間を平気で踏み台にしてのけるじゃないか。
彼のその"態度"は、僕が共感したいと思えるラインをやすやすと越えてきた。
もしかしたら、カメラの回っていないところで、十分に水田さんや番組制作者に謝罪をしていたのかもしれない。
でもそれでも、あれが「番組」である以上、あの場で自分がやったことに対する償いをすることが、視聴者含む番組に関わったすべての人に対するバチェラーとしての最後の責任ではなかったのだろうか。
それができない3代目バチェラーは、男として以前に、人として残念だったなと思う。
これを受けて、思ったことが2つある。
1つめは、"一回の行動" で人の見方ってこんなにも変わるんだってこと。
バチェラーに対する嫌悪感のほとんどは上述の" 自分の心に従ったまでという開き直り"なのだけど、 その兆候は本編の中にちょいちょいあった。
自分の思いを叶えることに対する恐ろしいほどの無邪気さ、子どもっぽさ、融通の利かない頑固さ。
でも本編を見ている最中は、それを「これくらい意志の強い人だからこの地位にいるのだろうな」 と好意的に解釈していた。
一方で最終回、僕の中での"人として越えちゃいけないライン" を越えた行動を目の当たりにした後、ワンシーンワンシーンでの行動を思い返すと、その全てが違った印象で見えるようになった。
象徴的なのはやはりバチェラー一家に女性陣を紹介する話で、自分から家族に「誰がいいと思うか」と問いかけたのに、 自分の望む答えではなかった途端「比べること自体がよくない、おれはおれの信じる道をいく」と言いだした。
こんな出来事でさえ、当時は「自分の信じた人がいいよねぇ」と応援していたけれど、家族を、3人の女性たちを、それぞれひとりの人間として尊敬していれば、こんな問答には絶対にならない。
最終回に周囲を置いてけぼりにして、自分だけは清々しい顔をしているのも、"周りが見えていない自分勝手なヤバいやつ"の証左だと思う。
他にも色んな行動が悪い方向に線でつながってきて、今となっては、とにかくただ周りの見えない、思慮の浅い人だという印象になってしまった。
過去の行動自体は変わっていないのに、たった一回の行動で見る目が変わってしまい、こうも受け取り方が変わってしまうのって、ちょっと恐ろしいなと思った。
僕は、周りの言うことよりも自分の気持ちを大事にして信じる道を行くことは、正しいこと、美しいことだと思っていたし、その考え自体は間違っていないと今でも思う。
でも、その"信じる道" が本当に正しいのかということを常に自分に問い続ける姿勢も同時に忘れないように気を付けようと思った。
2つ目は、やっぱり世の中にはいろんな人がいるんだなってことだ。
あれをやっていいことだと判断する社長もいるし、あんなことをやった男と結ばれて幸せだと思う女もいる。
僕はまったく共感できないし、多くの視聴者もきっとそうだと思うけど、当人たちはきっとそういう価値観なのだ。信じられないけど。
信じられないけど、そういう世界もあるのねって思うことがきっと健全なのだと思うし、今後の人生のためになる。
決して交わりたくはないけれど、そういう人もいるって知っておくことは大切だ。
そういう意味で彼らは、他所の世界のサンプルとして、 僕の中で生き続けるのだと思う。
あの二人が実存すると考えていると、「あんなやつのどこが良いんだ」とか「早く別れろ」とか、そんなことを思ってしまって精神衛生によくないので、別世界の出来事だと割り切って、「勉強になりました」とふたりの存在をフィクションの彼方へと消し去るのが良い。
見終わったときは「時間返せ!」って思ったけど、 時間をかけて視聴した分、強く印象に残るサンプルになった。
忘れがたい作品になったという意味で番組は成功かもしれないが、一方で、これは僕がバチェラーに期待していたものではないことは確かだ。
いい男に、いい女に、いいデート。 楽しく見られる恋愛ドキュメンタリーを見たかったのに、 そこにあったのはおぞましく気持ち悪い恋愛のようななにか。 最終回視聴中のストレスは半端ではなかった。
そもそも"誰もが羨むいい男"であるはずの「バチェラー」が、実は"誰もが罵るクソ男"であったというのは、番組の根幹を揺るがす事態と思われるので、今後の番組視聴率が気になるし、自分も果たしてシーズン4を見たいと思うのか、今から少し楽しみにしている。
おしまい