めおとつーりんぐ

自転車世界一周を目指す「まこと」と「ともみ」の夫婦ブログ

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「声をあげて笑う」ことってどれくらいありますか?

 

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こんばんは!まことです。

 

皆さんは腹の底から声をあげて笑うことってありますか?

あまりに面白くて、可笑しくて、人目もはばからず笑うこと。

もしあるという人は、その頻度はどれくらいでしょうか?

 

僕もたまにあります。

半年に一回ほど。年に2回、よくて3回くらいの頻度です。

 

僕は、この瞬間がたまらなく好きです。

大体この声をあげて笑う瞬間は、友人や家族と一緒にいて、なにかとてつもないことが起こったときです。どうしてこんなバカなことになったのか、考えれば考えるほどツボにハマって可笑しくなって、5分くらい馬鹿笑いしてる気がします。一緒にいる人からも「笑いすぎ」と軽く注意を受けるほどです。

 

僕は昔からよく笑うほうでした。どんだけ笑っちゃダメな空気だったとしても、その事象が可笑しいと感じれば、それに逆らえず笑ってしまうタイプです。

思い返せば、小学生のときには毎日声をあげて笑っていた気がします。友達と新しい遊びを考えたり、なにか話したり、ふざけあったり。毎日は記憶違いなのかもしれませんが、それくらい色んな事が、楽しくて可笑しくて仕方がなかった。刺激に満ち溢れていました、昔は。

 

それが年々減ってきて、今では半年に一回になってしまいました。

とてもとても、寂しい事です。

 

だからこそ、声をあげて馬鹿笑いする瞬間は、本当に嬉しい気持ちになります。

あの頃の日々に帰れた気がして。

 

ここ2,3年のことですが、僕はこの馬鹿笑いが一通り終わった後、「あー楽しい。幸せだな。生きててよかったな。」って思います。もしかしたら他のどの瞬間よりそう思うかもしれません。

 

幸せだな、って感じられる瞬間て貴重じゃないですか。少なくとも僕にとってはそう多くない機会です。

 

そして、また半年くらい後には同じくらい楽しいことあるのかなと不安に思い、どうかあってくれと祈ります。おれはこの瞬間のために生きてるんだぜ、って。

 

 

で、ここからが本題なんですが、先日ふと気付いたんですよ。

「待ってるばかりじゃなくて自分から動けばいいんだ」って。

その"馬鹿笑いの瞬間"がそんなに幸せだと思えるのなら、それを増やすように努力すればいいんじゃないかって。

 

 

例えば、勉強が好きで楽しければ良い大学目指しますよね。

職場の環境や待遇に満足できなければ、より良い場への転職を考えますよね。

親が結婚に反対したら、遠くへ駆け落ちでもするでしょう。

 

やりたいことのために、「"それを実現できる環境"に身をおくよう努力する」って普通のことですよね。

 

でも僕は、"声をあげて笑う"ことが大好きなのにも関わらず、「"声をあげて笑う"ことがよく起こる環境」を手に入れようとはしてこなかったのです。

というよりどうにか出来る事象だと認識していませんでした。漠然としすぎてるじゃないですか。

 

でもついこの間、「この笑う瞬間が、一カ月に一回とか、週に一回とかになったらどんだけ幸せなんだろう…。毎日とかになったら嬉しくて死んじゃうな。」とか考えてるときにふと、「じゃあそうなるように頑張ってみればいいのか」って閃いたんですよね。

 

閃きなんておおげさなもんじゃないけど。

 

良い大学に行けとか、

今の職場が不満なら転職しろとか、

東京が嫌になったら田舎に住めとか。

色んな「理想の環境を手に入れろ」的な指南書が世の中には溢れてるけど、「毎日大笑いできる環境に身を置け」って指南書ってあんまりないじゃないですか。少なくとも目につかない。

 

だから、気付くのが遅くなっちゃったけど、すごく大事なことに気付けたんじゃないかと自分では思っています。

 

「変えられるものじゃない」と思い込んでいたものを「変えられるものなんじゃないか」と思えたのだから。

 

軽くパラダイムシフトが起こった気分です。

 

具体的にどう行動しようかはわかっていないけれど、それを考えられるだけで一歩前進。

これで毎日笑えるようになったら本当に嬉しいんだけどな。

 

 

おしまい