めおとつーりんぐ

自転車世界一周を目指す「まこと」と「ともみ」の夫婦ブログ

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介護施設の祖父のお見舞い

 

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こんばんは。まことです。

ともみさんのブログみたいになっていますが元気です。

 

さてさて、お盆休みに愛媛に帰省をしておりました。

そして帰省の度することのひとつが、介護施設にいる祖父のお見舞いです。

 

祖父はいわゆる古い日本の男でした。

おーいお茶タイプですね。

 

自分の周りのことは一切自分でせず、

一家の大黒柱だからと気に入らないことがあると怒鳴りつけ、わがまま放題。

お酒が大好きで、休みには昼から飲み、次から次へと祖母に「おい、酒!」でした。

 

だから祖母も母も、それほど祖父が好き、というわけではなかったように思います。

そんな事情を子どもながらに察してかどうかわかりませんが、

僕もこの母方の祖父母を超好き!っというわけではありませんでした。

 

 

そんな祖父がここ3,4年くらいで一気に痴呆がきました。

最初はお酒飲んだときに、名前が思い出せないとかそんな感じでした。

 

でも段々、様子がおかしくなりました。

話が噛み合わなくなりました。

僕が強くなったわけじゃないのに、ある日突然将棋が勝てるようになりました。

 

 

そうなって一年くらいして、母も父も祖母も、親類みんな、

祖父に対して「もうダメだね」という雰囲気になり、あたりがキツくなりました。

母の妹にあたっては、実の父を捨て家を出て行きました。

 

段々と本格的に介護感が強くなり、もう嫌だやってられないという空気が流れました。

そりゃそうです。今まで散々辛い思いをさせてきた張本人に対して、

介護なんて辛いものをやる気になるわけありません。

 

この歳で初めて目にした「介護」という現実。

僕は大学生で家を離れていたこともあり、このゴタゴタを見て見ぬ振りをしていました。

 

母から電話でなんとなく状況は聞いていましたが、

深く突っ込むことはせず「無理しないようにね」「頑張ってね」と言うだけでした。

あれよあれよという間に、施設に預けられることになっていました。

 

面倒ごとに首をつっこみたくないという気持ちもあったけど、

それよりも大きな理由はやっぱりこっちの祖父のことあまり好きじゃなかったんだろうなぁと思います。

というよりこの母方の家族が好きではないのです。

祖父の話だって、わがままなのは確かですが、

それを甘やかして聞いていたのは祖母含めまわりの人たちじゃないですか。

 

なのに祖父がボケた途端に、「もう面倒見切れない」、

「この人はなにも自分のことをしやしなかった」なんて。

 

そういう状況にしたのは自分だろ!と思ってしまいます。

 

 

さて話が逸れてしまいました。

今まではかなりドライというか冷たいことを書いてきましたが、

それでもやっぱり昔一緒に遊んだじいちゃんです。

帰ったときには顔を見せておこうかなって気持ちになりました。

 

 

とにかく今まで大変な時期になにもできなかった、しなかったので、せめて自分にできることをという気持ちでした。

 

 

去年の冬にその機会は訪れました。

「せっかく帰ってきたし顔見せに行く」と母に言って一緒に施設へ面会に行きました。

 

初めて入る介護施設

自分一人では全く生活できないと思われる多数の高齢者。

初めて目の当たりにする現実でした。

 

そして祖父もその中のひとりなのだと実感しました。

 

祖父は共有スペースで座っていました。

痩せて、ヘッドギアをつけ、普通に会話することはできない様子。

僕の知っているじいちゃんはもういませんでした。

 

正直言って、話には聞いていたものの、実際目の当たりにすると多少ショッキングでした。

でも、ひとまずじいちゃんがみれて安心。

そう思っていました。

 

しかし、帰るときに事件は起きました。

 

「もう帰ってしまうの?」

「わしも連れて行ってや」

「どうして」

 

と祖父が騒ぎ始めたのです。

 

でも連れていくことなんてもちろん出来ません。


母や祖母は慣れているのでしょう、突き放すように「ダメよ」と言いました。


何度か、いえ何度もそのやりとりを経たあと、

祖父はその場でうつむいて、諦めたようでした。


僕はなにも言うことができず、ただ母と祖母の後ろをついて帰りました。


エレベータに乗るときに見えたさみしそうな後ろ姿。

今でも忘れることができません。

 

 

会いに行けば喜んでくれるだろうと思っていた。

家族の誰からも介護を諦められ、施設に預けられたじいちゃん。

みんなが自分から離れていった。

 

施設に入った後も、誰かが来てそしてすぐまた、離れていく。

 

会いに来てくれた喜びより、帰ってしまうときの寂しさの方が

じいちゃんにとっては全然大きいんじゃないかとそのとき思ったのです。

 

喜ぶことをしたいと思ってしたことが、かえって悲しませてしまったんじゃないかと、

その日はひどく落ち込みました。

 

 

そしてこの夏、再び祖父のもとへ行きました。


前のことが気がかりではあったけれど、半年に一度程度しか返らないし、
やっぱり僕が祖父のためにできることって会いに行くことしかありません。

 

施設に入ると、職員さんから、最近ずっと甲子園に夢中ですよと言われました。

 

言われた通り、祖父はテレビの前で甲子園を見ていました。

心なしかご機嫌に見えました。

 

「会いに来たよ、わかる?」

祖母が言います。うんと返事が返ってきます。

 

「私は誰かわかる?」

母が言います。ここまではお決まりのパターンです。

母のことはその日によってわかったりわからなかったりですがこの日はわかりませんでした。

 


「これはわかる?」

祖母が僕を指さしながら言います。わからない、と返ってきます。

 

「あんたの孫よ、会いに来てくれたんよ」

祖母がそう言うと、祖父は再びこちらを向きました。

 

祖父に見つめられて、僕は少し困惑しました。

顔も忘れちゃってるし、なに喋ったら良いかわかんねえな…。

 

こういうときは考えちゃダメです。

右手を上げながら、僕は口を開きました。

 

「よっ。じいちゃん元気か」

 

その瞬間。

祖父はパーッと顔を輝かせて笑顔を見せたのです。

 

孫ってわかって嬉しいのか、

普段会いに来ない人が来てくれて嬉しいのか、

単に若者が来てくれて嬉しいのか。

 

それはわからないけどここ何年かで見たこともないような笑顔でした。

 

その日は結構調子が良かったようで、

去り際も全然騒ぐことはありませんでした。

 

ただただ喜んだ祖父の姿を見て、僕はホッとしました。

 

また会いに来られるな。

やっぱり嬉しい気持ちの方が強いのかな、と少し安心しました。

 

 

よかれと思ってやったことが、かえって迷惑になるかもしれない。

相手の気持ちを想像するのは大切だけど、とても難しいことだなとこの件で改めて感じました。

 

 

でも、それでもやっぱり、祖父に対して僕ができることは、

会いに行く事しかなかったのです。

 

そしてこれからもきっと、それしかないのでしょう。

 

 

おしまい