自分を育ててくれた両親、幼い頃からずっと一緒に遊んできた弟、高校生の頃から家族以上にたくさんのことを話してきた彼女。
じいちゃんばあちゃん、親戚、中学校の時の親友、学校の先生、麻雀仲間。
いろんな人といろんな話をしてきた。
本当に本当に、たくさんの話を。
今の話、将来の話、趣味の話、職場の話、恋の話、価値観の話。
何のために話をしてきたんだろう。
きっと分かり合うためだと思う。
いや、わかってもらうため。
自分のことをわかってほしい、誰かに理解して欲しい。
そのために話すのだと思う。
人間は生まれた瞬間から孤独だな、と思う。
自分一人で考えて、自分一人の人生を歩んでいくしかない。
でも、だからこそ誰かにわかってほしい。
誰か自分のことを理解してくれるんじゃないかと思う。
でも、それは幻想だ。人間と人間は完全に理解しあうことなんて絶対にない。
相手はあなたの言葉からしかあなたを理解することができない。そしてきっと、あなたがあなたの全てを言葉で伝えられるわけではない。
言葉にできることにはそもそも限界がある上に、言葉にして伝えたところで相手はそれを完全には理解してくれない。
というよりそもそも人間はそれほど他人に興味がない。
優しい人は「わかるよ。」なんて言葉をかけてくれる。
でも僕が本当に伝えたいのはそんなことじゃない。
表面的な共感なんてもうたくさん。
家族とも彼女とも長い長い時間をかけてたくさんのことを話してきた。
本当にたくさんのことを。
でも僕は彼/彼女らのことをよくわからない。
あれだけ時間をかけてたくさんのことをしゃべってきたにもかかわらず全然よくわからない。
それがとても恐ろしい。
僕がみんなのことをわからないと言う事は、みんなも僕をわからないと言うことだから。きっとこうやって誰にも理解されずに死んでいくんだろう。1人で生まれてきて1人で勝手に死んでいくのだ。
あとどれだけ話せば理解しあえるのだろう。
よくドラマで老夫婦のおばあさんが「まったくしょうがないわねあの人は。いつもそう。」なんておじいさんに向かって言っているのを見かけるけど、あれもきっとなにも分かっちゃいない。
分かった"ふり"。
それが限界。精一杯の強がり。
私はあの人のことをわかっているわ。だからきっと私のこともわかってくれている。そうやって強がっているだけ。いやきっと強がれるだけ強い人なのだと思う。
こんなことに悩んでいてもしょうがない。
それはわかっているけれど、たまにどうしてもこの行き場のない孤独感に襲われる時がある。
たまに自分が2人いればなぁなんて思うことがある。
自分が何を言ってもそれを理解してくれて、自分の言葉以上に自分を理解してくれて。
こんなに全部自分のことをわかってくれる人がいたなんてと嬉しくなって。
「辛いよね。」
「わかる、わかるよ。」
「ありがとう。」
そう言い合いながらこの世の恨みつらみを全て吐き出し、抱き合いながら眠り、そのまま死にたい。
そう思うことがある。
どうしようもないこと、気持ち悪い悩みだと思うけど、いざ死んでしまう瞬間もこんなことを考えてそうで、それが今から本当に怖い。
まこと