こんばんは。まことです。
東京は大雪ですね。僕は八王子近辺に住んでいるので本当にすごい積雪量です。明日からが思いやられます。地面が凍ってつるつる滑るんだろうなぁ。
さてさて、僕は雪を踏んだときの感触が大好きなのです。
なんというか、「生きてるんだな~」って実感します。
今日はそう思うようになるまでの話。
僕の生まれは愛媛県松山市というところで、この場所は「雪が積もる」ということがほとんどありません。
瀬戸内海式気候といって、四国山地と中国山地に囲まれ、さらに海に面しているこの地域は温暖で降雨量が少ないことで知られています。
雨が降らなすぎて、真夏にはしばしば「水不足・断水」という事態に陥るので、梅雨にどれだけダムに水を蓄えられるかが勝負!みたいな気持ちで市民は6月を迎えます。
そんな気候なので、冬になっても雪が降らないのです。たまに降ることはあってもほんっとうに積もりません。
高校卒業するまでの18年間で、雪が積もったのは1回しか記憶にありません。その日のことは今でも鮮明に覚えています。
小学生のときのこと。もう学校中、地域中がお祭り騒ぎで、朝からわいわい雪合戦。学校につくと、なんと1時間目の授業が中止になって、運動場で雪遊びしましょうというアナウンスがある始末でした。
もうこの日の興奮は一生忘れないでしょうね。テレビや本や歌の世界にはあんなに溢れてるのに全然縁がなかった雪。雪ってこんななんだ…!雪という最高の遊び道具を得て、友達と遊んだあの時間は本当にあっという間でした。
余談ですが、この雪遊びは2時間目に突入しても続く流れだったのですが、僕のクラスは2時間目が移動教室の音楽だったのです。この音楽の先生がカタブツで、「雪なんていいから授業だ」みたいなことを言い出して、僕のクラスだけ1時間目だけで終わりになりました。
子どもの気持ちのわからないサイテーな教師だと今でも恨んでます。一生覚えてっからな!クソ二宮!
そうやって全然雪に縁のない生活を送ってきたわけですが、大学は名古屋に出て、年に一回ほど積雪するようになりました。最初の1年目は本当にテンション上がって、家族にたくさん写真を送った記憶があります。
それほど頻繁には降らないのでレア感はあったのですが、やはりだんだん慣れてきました。大人になって感受性が鈍くなったのもあり、雪に興奮するよりどちらかというと寒さが嫌だという気持ちが勝るようになってきました。
我ながらつまらない歳の取り方をしてるなと思います。
そういうわけで、雪に慣れてからというもの、雪が降った日はとても寒いので心を無にするようになっていました。
さみーよ雪なんて振るんじゃねーよまったく。
そう心の中でつぶやいていました。
大学4年の冬でした。
留年をなんとか乗り越え進級し、研究室に配属された僕は、いよいよ卒論で多忙を極めるようになっていました。泊まりがけで実験し、解析して考察して報告してまた実験。留年して初めて勉強し始めた僕にとって、卒業研究はかなりタフに頭を使うもので心身ともに少し疲れていました。
ある帰り道のこと。その日は雪が降っていました。
「はぁ、今日も疲れたな…。」
実験で疲れ果てた僕は、何も考えたくなくて、凍えるような寒さをできるだけ感じないように、マフラーを鼻まで巻いてフードをかぶり、外界を完全シャットアウトで歩いていました。何の気なしに 雪の上を歩く。ある一歩を踏み下ろした時、ふと感じました。
ザザッ
「あ…雪だ……。」
雪を踏んだ時って独特の感触がしますよね。雪の結晶と結晶の間の空間が潰れていく感触みたいな。最初柔らかく、あと硬い。雪だけの感触。
これ、雪だ。
昔に踏んづけた雪の感触だ。
明けても暮れても研究室に通い、生きているのか死んでいるのかもわからない刺激のない生活の中で、この雪の感触はとても尊いものに感じました。
忘れもしないあの日、毎日活き活きと輝いていた小学生だった時に感じたのと同じ感触。
この雪だけがくれる唯一無二の感触を感じられるおれは、きっと生きてるに違いない。そう感じたのです。
もう少し、いろんなものを感じられるように、余裕をもって生きよう。その日、雪を踏んでそう思いました。
あの日の自分へ
いろんなものを感じられる余裕は今も結局あまり持てていないけれど、あの日と同じように、「生きてる」って今日感じられたよ。
おわり