めおとつーりんぐ

自転車世界一周を目指す「まこと」と「ともみ」の夫婦ブログ

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人生はクソゲーだ〜②ゴール編〜

 

こんばんは。まことです。

 

今日は人生がいかにクソゲーか考える不毛なシリーズ第2弾。本当不毛で時間のムダ。

 

だけどクソなものはクソなのだから声を大にして言ってこうって趣旨です。

では始めます。

 

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ゴール=死 がクソゲー

前回👇はスタートがクソって話でした。

人生始まった瞬間から差がありすぎなんですよね。

mktmm.hatenablog.jp

 

今日はゴールがクソって話です。

人生のゴール=死 です。こいつがクソ。

 

スタートがクソならゴールもクソ。

ほんと人生ってクソゲーですね。

 

クソな理由①死ぬの怖すぎ

まず言いたいのは、死ぬの怖すぎってこと。

 

輪廻転生とか死後の世界とか、昔から人間て死ぬことばっかり考えてます

なぜでしょうか?

怖いからですよね。

 

怖い理由は人それぞれかもしれません。

死ぬ瞬間痛いのが嫌とか、自分が消えてしまうのが不安とか。

 

でもそうやって悩んだって解決しないんですよ。考えられるのは生きてる間だけ。死んだ後のことは誰も知りません。

 

だから、生きてる間に自分なりに無理やり納得しておくしかない

こんなものが人生のゴールだからクソなんです。

 

クソな理由②ゴールは向こうから強制的にやってくる

我々はこの人生というゲームに本人の希望なんて関係なく勝手に参加させられます。

 

そして始まった瞬間に、勝手にゴールまでのカウントダウンが始まります。しかもそのカウントは本人には伝えられません。いつ死ぬかわからない

 

平均寿命というデータから大体このへんとあたりをつけることができますが、事故や病気などで突然終了する可能性だってあります。それにまた恐れおののきながら生きなくてはいけない。

 

「君は今日からこの地球という惑星で人間として生活してもらいます。なにをしても自由だけど "いつか絶対に死んじゃう" からそこんとこヨロシク。頑張ってね~。」

 

勝手にこの世に生を受け、死の恐怖と戦わざるを得ない状況にさせられる。 

そのへんのデスゲーム系漫画かと思うくらいの主催者の鬼畜っぷりです。

 

クソな理由③死んでしまえば皆同じ

これが一番納得いかないんですが、死んだらすべてがそこで全てがおわりです。全てが。

 

その瞬間に体はただの肉塊になり、燃やされて骨になるだけ。あとは勝手にまわりに好きなように人となりを評価され、やがて忘れられ、そのうち自分を知っている人達もまた死にます。

 

そうやって完全に忘れ去られていく。

自分が存在した証がなにもかも消えていく。

いくら後世に名を遺したって、いつかはなにもかもなくなります。

 

まぁそもそもこの世が続こうが続かまいがどっちでもいいですね。

自分が観測できなくなるのだから。

 

よく「無」になるとか言いますけどたぶんそんな感じですよね。

死が怖いとすら思えない。

何も感じない。

 

プツリ、とそこで途切れます。お仕舞です。

すべては「自分」という人間があたかも存在するかのような長くて短い夢。

 

 

死が怖いってことは置いておいて、ここで言いたいのは人生なにをやったって所詮自己満足でしかないってこと。

 

どれだけ向上心持って前向きに生きようが、どれだけ適当に生きようが 、どんなに金持ちになろうが、例え大量殺人で死刑になろうが、死んだらそれでお終いです。一緒です。

 

この人生が誰かの作ったゲームで、自分が一プレイヤーだったら別です。今回はこういう風に生きてみようとか思えますもんね。

 

でもきっと、絶対、そうじゃない。たまたま地球に生まれついた人間という生物の一個体に芽生えた自我が「自分」なのであって、自分はこの宇宙の長い歴史の中ほんの一瞬の間、隅っこの惑星のちっこい島の上に存在する生命。

 

自分がなにをしようがしまいがなにも変わらない。

あるのは自己満足だけ。自己満足できるかどうかがすべて。

 

生きてる間にどれだけ「幸せ」だって思えるかどうかだけ。

 

だから悩みます。

「どう生きればいいんだろう」

 

でも、正解なんてわからないんです。そしてわからないので悩んだ分苦悩する。

 

考えれば考えるだけ、これで正解かわからなくなって辛くなる。

 

どう生きようがなにも変わらない。

だったらいっそのことなにも考えない方が良いのかもしれない。

何も考えず何も悩まず、わけもわからないうちに死ぬ方が幸せなのかもしれないと思う。

 

幸せな生き方を考えれば考えるほど、不幸になっていく気がします。

 

高尚な人間のフリなんてしないで、酒やドラッグやセックスみたいなわかりやすい直接的な快楽におぼれ、頭がおかしくなった方が幸せかもしれない。

 

まわりからみたら廃人で「ああはなりなくない」と思われるような状態でも、そのとき当の本人はとんでもなく幸せなのかもしれない。もしくはもう何も感じられないとしても、それは今の僕たちの状態より幸せなんじゃないのか。

 

最後に

あーもうほんとアホらしい。

こんなこと考えたってなんにもならない。

 

人生よくもなりはしないし、この瞬間の気分も下がるばかり。

よくこんなテーマでこんなに長々書けるもんだなって自分で自分に悪い意味で感心します。

 

最近歳をとってきたこともあり働き始めたこともあり、いろいろ考える問題が複雑になってきました。

 

でもこの究めて原始的な問題については一向に解決の目途が立たない

なんのための問題解決力なのか。嫌になりますね。

 

前回に引き続きお付き合いありがとうございました。

次回からはもう少し前向きな話を。

おやすみなさい。