めおとつーりんぐ

自転車世界一周を目指す「まこと」と「ともみ」の夫婦ブログ

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その一言の重み

 

こんばんは。まことです。

 

僕が勤めている会社では、新入社員が中学校に赴いて理科の実験教室をする、という恒例があります。まぁ良くある会社の社会貢献活動ですね。

 

先日これの本番が終了しました。その中でとても印象に残った事があったので今日はそれのお話。

 

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開始前の心境

僕はこれが非常に楽しみでした。

 

一生に一度の機会だと思ったから。先生でもないのに中学生に授業ができる、こんな機会人生でなかなかないですよね。

 

何を得られるんだろう。

 

人生経験のひとつとして、話の種として、この機会はどんなものを自分に与えてくれるんだろう。そう思っていました。

 

自分からつかみに行かなくても勝手に向こうからそういう機会がやってくるわけです。内定式でこれがあるって聞いたとき、どうか来年も続いていてくれと願いました。

 

 

そして入社後、無事続くことが発表されました。グループ分けがありそれから半年かけて準備をしていくことが伝えられました。なかにはこんなの遊びでしょとか、なんのためにやらなきゃいけないんだ、と言ってる同期もいました。僕はそんな同期の事を「せっかくの機会なのにもったいないなぁ」と思いながら、密かにとても楽しみにしていたのでした。

 

 

モチベーションが下がっていった準備期間 

いざ始まった準備ですが、これがかなり大変でした。

 

会社から与えられるのは授業の中で行う「実験」についての指示程度で、 何を伝えたいのかというそもそもの目的設定や、どういう構成にするのか、役割分担から資料までかなり多くのことを自分たちで考えていかなければいけませんでした

 

もう10年前のことなので自分が「中学生」だった時の事なんて覚えていません。「中学生」というのを最大限イメージし、どんなことを感じてほしいか、どうやったら飽きずに楽しんでくれるのか、空き時間に何を話せばよいかまでいろんなことを考えました。

 

さらに、グループメンバーの部署はバラバラなので、皆が部署の仕事の合間を縫って集まらなければいけません。はっきりいって本業にとっては邪魔です。しかもそうして集まったところで当然うまく会議なんて出来ないのです。我々はみんな新入社員。まだ研修ばかりでプロジェクトに加わったこともない。なのにいきなりマネジメントしていかなければいけない立場になります。

 

半年かけて計画的に物事に取り組むなんてやったことがないので、まず計画をたてるだけで一苦労です。きちんと決めて取り掛かるべきなのか、やりながら考えるべきなのか。その境界線はどこにあるんだろうか。瑣末な事を1時間も2時間も話し合った事もありました。何を決めるための会議なのかを会議したいくらい右も左もわかりませんでした。

 

入社して間もないので打ち解け切れていない同期。これやってと仕事をふれない、言いたいことを遠慮してしまう、そんなことしょっちゅうでした。

 

ときにはメンバー間でギスギスしてしまうときもありました。もっとこの人が頑張ってくれたらなとか、あの人が会議回すの下手なんだよなとか思ってしまうこともありました。

 

でも自分はそのチームの一員なのです。こういう状況にあるのは自分のせいでもある。要するにこの状況を変えていく力がないわけですからね。自分は無力で無能なんだなとひどく自己嫌悪に陥るときもありました。

 

 

そうやって、うまくいかず苦労が続くとだんだんモチベーションが下がっていきました。

 

「まぁどうせ本業じゃないしな」

「これが終わればそれまでの関係だし」

 

最初の頃、もったいない考え方するなぁと感じた同期たちといつしか同じ思考をするようになっていったのです。

 

 

 

それでも、なんとか前へと進んでいきます。ちょっとずつちょっとずつもがきながら、会議、提案、作成、修正を繰り返して着実に授業ができそうなくらいにまで完成されてきました。

 

 正直、あまり計画性が上がったとも、会議がうまくなったとも思いません。成長したかと言われると首をかしげてしまいます。半年なにかに取り組んだ割に得るものとしては多くはありませんでした。でも、うまくできないなりに頑張ってきました。

 

もっといいやり方はあったかもしれない。

もっと伝えるべきことがあるのかもしれない。

僕たちが想定した「中学生」は誤りかもしれない。

 

最後の方は本当にこれで良いのかなって思いが頭の片隅にありながら、

今更後には退けないので前だけを見ているって状態でした。

 

 

それでも最初よりは確実に良いモノになってきている。

 

みんなで頑張ってきたことだけは確かでした。

 

 

本番

ついに本番がやってきました。

本筋からは逸れますが、中学校に入ったのって本当に卒業以来で10年ぶりとかです。あの黒板があって勉強机が並んでいる教室にすごい感動している自分がいました。あぁ、あんなに当たり前だったこの景色は人生でもう二度と帰ってこないんだなって少し寂しい気持ちになりました。制服で駆け回る中学生たちって本当にまぶしかった。比喩とかじゃなくそう見えました。ありえないくらいおじさんみたいなこと言ってるのでここでやめましょう。

 

 

当日朝の心境ですが、 結構緊張しました。そりゃそうですよね、今日まで準備してきたのはこのときのため。僕たちが想定してきた「中学生」ってのは本当に正しいのか、伝えたいことが本当に伝わるのか、今日初めてわかるわけですから。楽しんでくれるんだろうか、本当に勉強嫌いなんだろうか、どんな目で見られるんだろうか、期待と不安を同時に感じていました。

 

 

でいざ本番になってみると、あまりの忙しさに目が回りました。

 

 

まず先生方に挨拶して、教室のセッティングをバタバタバターと終わらせます。すると中学生たちが実験室に入ってきました。この人たちは誰なんだろうっていう目です。子供のころ知らない大人をみるときに自分もこんな目をしてたのかなぁなんてことを思いました。

 

でもそんなこと思っている暇はありません。出だしが勝負です。なんとか頑張って打ち解けようとします。一番大事なことは笑顔と元気、今日は楽しいことするんだよって雰囲気を最大限出そうと努めました。元来あまり初対面の人と喋るのが得意ではありません。そういうときはかなり気合を入れて喋ります。子供相手に同じように頑張って話そうとする自分が少し可笑しかったですが、とにかくその時は必死でした。

 

で、なんとか警戒心が解けたころ、実験がスタートします。実験が始まると、説明や質問の受け応え、実験サポートに雑談ともう大忙し。一息もつく暇がありません。正直精いっぱい。頭がずっとフル回転でその場を滞りなく回すことを考えていました

 

 

で、その嵐のような数時間が終わると、もう授業はおしまいです。

 

 

終わりました。必死で話をしてその場をとりまとめてたらもう終わりました。

 

楽しんでくれる様子もあったし何かを感じとってくれる子もいたかもしれない。でもきちんとそれを感じ取ることはないまま終わりました

 

 

なにかたくさんの得るものがあるんだろうと思っていたこの授業教室。準備のときは、うまくできない自分をつきつけられた。そして本番は、とにかく必死でやってたら終わってしまった。

 

終わっちゃった…。おれは何を得られたんだろうか。

自分の能力の無さを自覚できたことが唯一の収穫なのかな。

そんな気分でした。

 

とりあえず半年かけて準備がしたことをやりきったんだというわずかな達成感と疲れだけが残りました。

 

その夜の打ち上げでも、とりあえずやり遂げたというわずかな達成感だけで、僕はテンションを上げていました。

 

それくらい手応えはすかすか。あの実験中に見せた笑顔も、質問してくれる時の好奇に満ちた目も、なんか心の芯には響いてきませんでした。それを感じ取るような余裕がなかった。あれは夢の中の出来事だったのかなと思えるほどに、本番のあの数時間は記憶にしろもやがかかっていました。

 

 

授業アンケートの一言

そんな風に本番が終わり、僕はこの授業教室についての話題をなんとなくかわしながら日々を送っていました。話をふられても、

 

「普通に楽しく終わったよ」

「大変だった」

「チームで仕事するってムズイってわかったのが唯一の収穫」

 

そんなことしか言えませんでした。

 

 

 

さて、この授業教室では、授業後に学校からのアンケート結果が会社に送られてきます。本番が終わって2週間が経つ頃、僕たちのグループのアンケート結果のメールが届きました。

 

 

僕は開くのがすごい怖かったです

 

 

あのときみんなは何を感じていたんだろう。

 

完全によろこんでくれていたという手応えをつかめなかったために、なにも自信がなかった。

 

そうして、まぁまぁよろこんでくれたんじゃないかな、普通の授業よりは楽しかったでしょ、可もなく不可もなく、と勝手に決めつけ、こんなもんだよなと思い込んでいた。

 

その答えが今目の前にあるのです

 

本当に怖かった。失敗したセンター試験の自己採点みたいな感じです。

 

 

恐る恐るアンケートを開きました。

 

するとそこには 、「楽しかったです」「~を勉強してみようと思いました」などの喜びの言葉と「来てくれてありがとう」という感謝の言葉が並んでいました。

 

数字の5段階評価もほぼ全員が高評価の4か5。全員が楽しいと思ってほしくて、奥手な子や勉強が苦手な子に積極的に話を振ることを心掛けた僕にとってとてもうれしい結果でした。

 

そして、自分の受け持ったグループの子たちのアンケートを見ているときでした。

 

「まこと先生、ありがとうございました!まこと先生のおかげで楽しい時間でした!」

 

 

ひとりの子が名指しで記述欄に感謝の意を述べてくれていました。

 

この時とんでもなく救われた気持ちになりました。

このたったの一言に

 

「救われた」なんて思ったのって人生で初めてです。

 

自分はやりきった。でも手応えがなかった。

おれがやってきたことには無意味だったんじゃないか?

なんのためにやってきたんだろう。

 

そんな谷底にいた僕の気持ちは本当にこの言葉によって救い上げられたのです。

僕が頑張ってきたことに意味を与えてくれました

 

ちゃんと自分の授業は伝わってた。

きちんと何かを感じてくれた。意味があったんだ。

 

誰かに存在を認められるってすごくうれしいんだなって思いました。

同時に誰かに認められない、いてもいなくてもどっちでもいいって思われるのってすごく辛いんだなとも思いました。

 

結局は自分があの日忙殺されてまわりが見えていなかっただけなのだと、初めて思うことが出来ました。

 

ちゃんと楽しんで、喜んで、感じてくれてた。

  

 本当に救われた気持ちになりましたが、僕はその間なにもしていません。2週間前に授業の本番は終わっています。ただそれを認めてくれる言葉をかけてくれただけです。

  

 

たったの一言があっただけ。

この一言を見た前と後とでは、僕の気持ちは天と地の差でした。

   

その子はきっと普通に感謝を述べただけでしょう。

そして本番中にもきっとそれを表現していたのでしょう。

喜んでいる声や表情で。

 

でもそれを感じ取ることができなかった僕にとっては、この一言はここまで重く響きました

 

 

誰かの発するその一言でこんなに人の感情って揺れ動いちゃうんだな。

 

僕は、人の言葉の持つ重みを身に染みて感じました。

 

 

 最後に

誰かの何気ない一言で、誰かの人生が変わってしまうこともあります。それは、有名な人の演説やインタビューかもしれません。

 

でも、もっと身近な、例えば友人や家族、同僚などの本当に気にも留めていない一言

かもしれません。

 

その一言があるかないかの差。これは想像以上に大きいときがあります。

それくらい人間の心って揺らぎやすいもの

 

自分が発する言葉の一つ一つ。

それは感謝の言葉かもしれないし、人を傷つける言葉かもしれない。

 

でもその一言を相手は自分の思っている以上にうけとめる可能性があることは、心の隅にとどめておかなくてはいけません。

 

僕にとってこの授業教室は、「計画や会議が下手」なんて些細なことじゃなく、「人の言葉の持つ重み」というとても大切なことを学ばせてくれるためにあったのでした。

 

 それでは今日はこの辺で。おやすみなさい。