はじめに
こんばんは。まことです。 今日は大学時代に留年した話です。
「留年」てどんなイメージでしょうか。
間違いなくマイナスなものですよね。僕の場合も完全に自業自得の留年でしたが、そのショックはとても大きなものでした。それこそもう2度と立ち上がれないほどの。一生このマイナスイメージと付き合っていかなければならないという事実に絶望し、全てを投げたしたくなることもありました。
そんな風にマイナスイメージのある「留年」ですが、僕は”して良かった”と思っています。
というのも、「留年せずにすんだ」人生を想像し、今の「留年した」人生と比較したとき、今の方が絶対に楽しいし幸せだろうと思うからです。
留年は僕にいろんなものを教えてくれ、いろんなことを考えるタイミングを与えてくれました。留年をきっかけに、そこから立ち直る過程で、考え方がとても大きく変わりました。留年せずにあのままで生きていたらと思うと、僕にとってはそっちの方が恐ろしい。
留年を肯定しているわけじゃありません。僕にとっては大切なステップだったというだけです。本当はこんなきっかけなんてなく、大事なことに気付いた方が良いに決まっています。でも気付けなかった僕に気付くきっかけを作ってくれたのが留年だったのです。
それでは、留年に至りそこから立ち直る過程とそのとき考えていたことについて書いていきます。
麻雀三昧の毎日につきつけられる留年宣告
留年のきっかけは、麻雀です。ハマりすぎました。
詳しい大学時代の麻雀の話はコチラ☟。
簡単に言うと、
●起きたら雀荘へ行き、疲れたら帰って眠る、起きたら再び雀荘へを繰り返す毎日。
●常に頭の中には麻雀。シャワーを浴びてる時もその日の麻雀の反省をし、眠るときもパソコンで麻雀番組を見ながら寝落ちする始末。
●大学と雀荘は逆方向。足が遠のきます。講義は必ず出席がとられるもののみ講義の始めだけ出て、出席に○をつけたら帰ります。それ以外は一切いかなくなりました。
●雀荘の仲間と話す方が楽しかったので、次第に大学の友達とも疎遠に。向こうも僕のことを「麻雀中毒のアブナイやつ」という目で見るようになります。
そんな生活の中で突然留年が決定しました。3年前期のことです。
僕がいた学科では、4年生になるためには「必修科目を5科目落としたらOUT」です。
3年前期に必修科目が5科目ありました。そして、5科目とも単位を落としました。
一年間で5科目落としたらダメなところを前期だけでクリアしてしまいました。
バカですね。3年生になって勉強がいきなり本格的・専門的になり、テスト前の一夜漬けではどうにもならなくなっていた。そんなことにも気付かないほど、大学に行かず、勉強をないがしろにしていたのです。
「なんとなく生きる」が通用しなくなった日
僕は留年するまで、「なんとなく」で生きてきました。本当に「なんとなく」だけ。物事を決めたり、行動したりするのに、理由や意志が全然ありませんでした。自分で悩んで生き方を決めたことが一度もなかった。
「なんとなく」勉強が出来る方でした。そのポジションにいれば、褒められて気持ちいいのでなんとなく維持していました。あまり苦労はしませんでした。もっとも、苦労しなければいけないのであれば、たぶん勉強が嫌いでやってなかったと思います。
小学校の時、「なんとなく」友達につられサッカー部に入りました。中学、高校となんとなく続けました。そこまでやりたいと思っていたわけではなく、なんとなくみんな部活をやる流れだったからやってました。だから、それほど熱心に取り組んだとはいえません。
小学校高学年くらいから、将来の夢は「大学生」でした。大学生の知り合いなんて一人もおらず、具体的な話を一切聞いたことがないのに、「なんとなく楽しそう」という理由であこがれていました。こういう勉強がしたいとか、とにかく遊びまくりたいとか、そういう気持ちは何もありませんでした。ただその響きに意味もなくあこがれていただけ。将来の夢は?ときかれて、大学生だよ、とへらへら笑っていました。
高校進学のときも「なんとなく」でした。南高校と東高校で迷い、「なんとなく方角的に暖かそう」だから南高校を選びました。何も情報収集はしませんでした。
文理選択も「なんとなく」。理系が苦手じゃなかったから理系にしました。別に理系に行ってこういう勉強をしたいとかなかったです。ひとつの人生の岐路だとかなにも考えていませんでした。
志望大学も「なんとなく」。選んだ理由は今の学力でそんなに勉強しなくてもいけて、世間的に良いとされる大学だから。オープンキャンパスなんて行ってないしパンフレットも一回も開いたことありません。どんなところか全く知らなかった。
理学部と工学部で迷ってましたが周囲の人で理学部に進む人が皆無だったため、なんとなくそういうもんかと思って工学部にしました。
学科もなんとなく物理が好きだからという理由で物理系に。その学科でどういう勉強をすることになるとか、どういう職につけるとか何も調べていません。
こうやって全部を「なんとなく」で決めて、何一つ自分で考え、悩み、決めたことはありませんでした。「将来を考える能力」が欠如していたんでしょうね。いつもいつもその瞬間だけを点で捉えて適当な答えを出し、自分の進む人生を線で考えたことが一度もありませんでした。
大学に入ってからも「なんとなく」は続きます。〆切前日に書いたレポートやテスト前の一夜漬けでなんとなく単位が取れていました。
だから大学も、「なんとなく」当たり前に卒業できると思っていました。大学には行ってなかったけれど、実は留年が決まるまで、自分が留年するかもなんて全く考えていませんでした。
でもここにきて、「なんとなくで生きる」は限界を迎えました。
"意志を持って"大学に勉強しにきている友達たちと、"なんとなく"そこにいる僕。その差が明確に出てきてしまいました。
20歳にして、生まれて初めての、とても大きな壁にぶち当たりました。
今まで一度も、何かを自分で決めてこなかった僕。そのツケが20年目にようやく回ってきました。「留年」という辛い現実の中で、生まれて初めて「この先の人生」を自分の手で決めていかなくてはならなくなりました。それは、今まで甘く甘く生きてきた僕にはとても大変なことでした。
今日はここまで。
その②に続きます。