こんばんは。まことです。
今日は留年した話パート2です。
パート1はコチラ☟
いつの間にか「普通」から逸脱してた僕
夏休み
留年が決まってすぐ、夏休みを迎えました。2か月間の夏休み、何を考えていたのか記憶がありません。四六時中、頭の中に「留年」の二文字があったことだけははっきり覚えています。
人並みに遊びにも行った気がしますが、気晴らしにもなりませんでした。
帰省して、親にも話しました。大丈夫なのか、と本気で心配してくれました。でも、大丈夫大丈夫、勉強してなかったしまぁ仕方ない、と適当に受け流した気がします。優しい両親はきっと心中を察してくれたのでしょう、あまり深く追求されませんでした。
相変わらず、麻雀は続けていました。雀荘の連中にとっては留年なんて日常茶飯事なので、「お前もかw」くらいで笑い飛ばしてくれて気が楽でした。それに麻雀中は留年のことを考えなくて済むから、たぶんそうやって現実逃避をしていたのだと思います。
そのおかげか、夏休み中はあまり実感もありませんでした。なんとなくもやもやした気持ちがあっただけ。後期から頑張っていこう。そう自分に言い聞かせていた気がします。
後期のスタート
夏休み明けから状況は一変します。
さぁ頑張ろうと意気込んで学校に行くようになった僕。まわりの友達から「何、真面目じゃんw」とからかわれます。友達には留年したことは言えていませんでした。「まぁね、前期ちょっと単位落としちゃって」とごまかします。
さて、ここで問題が起こりました。
僕は3年前期に5つの必修科目を落としたことにより留年しました。3年後期の必修科目は、この「5つの授業の続き」だったのです。
例えば量子力学Iという授業が前期にあったら、後期は量子力学IIという授業がありました。これは量子力学Iが分かってないと解けません。後期が始まった瞬間に、前期落とした必修5科目分の勉強を余儀なくされました。
そのうち、3年前期の勉強をしようにも、1,2年の基本的な勉強(数学など)が必要なことがわかってきました。
大学入ってまともに勉強した期間なんてなかった僕。当然1,2年の勉強すらわかりません。サボり続けてきた2年半分の勉強が、目の前にどさっとありました。友達に聞こうにもこんなこと今更聞けないし、そもそもこんな量の勉強を自分が理解できる気がしませんでした。
今まで勉強で不自由したことなんてなかったのに、いつのまにか学年一の落ちこぼれになっていました。なにからなにまでわからない。
頑張って大学に行こうと決めたのに、大学に通えば通うほど、現実が見えてきて辛くなってきました。
「なんとなく」でまわりと同じように「普通」に生きてきた僕。初めて心の底から「楽しい、やりたい」と思い、誰に勧められるでもなく自分でやっていた麻雀。その麻雀に、自分を見失うほど熱中していた間に、僕はいつのまにか、「普通」ではなくなっていました。
僕みたいに麻雀にのめりこまなかった大学の友達。「その程度かつまんねえの」と蔑んで、雀荘の連中と麻雀ばかりしている間に、彼らはきちんとやるべきことを見定め、娯楽は娯楽とわりきっていたのです。あんなに一生懸命やっていたって、実際僕はただ24時間遊んでいただけ。それに気づきました。
彼らと僕の間にはもうどうやっても埋まらない溝ができていた。
今から頑張って勉強して、もしみんなに追いついたとしても、僕の人生から「留年」の二文字は消えません。もう昔から思い描いていた人生をおくることは絶対にできない。自分がキズモノになった感じがしました。みじめでした。
人生初めての挫折。
どうしてこうなっちゃったんだろう‥。
考えるたびに、涙が止まりませんでした。
自分の思い描いていた「普通」の人生を、捨てている自覚なく捨てていた。
取り返しのつかない失敗。
どうせ挫折するならもっとはやいうちに、傷の浅いうちにさせてほしかった。
そんなことを考える毎日でした。
そして、後期始まって3週目のある朝、ふと、限界がきました。
もう、無理だ‥‥。
僕はついに、大学へ足を運ぶことができなくなりました。
今日はここまで。長くなってごめんなさい。
その③へ続きます。