こんばんは、まことです、
先日飲み会で同期が「この間大学の友達が死んでさ、…」 というお話を始めました。交通事故だそうです。
現在26歳ですが、 この年齢になると結構な確率で同級生がなくなっているそうですね 。
同級生の死。
僕も大学生の時、友人がひとり亡くなりました。
病死でした。
彼は中高の同級生で、 中学時代は学業におけるライバル的な存在でした。 とても賢いやつで、 どれだけ勉強を頑張ってもなかなか引き離せなかった。 こいつには負けたくないという気持ちがあり、 その一心で辛い受験勉強を頑張れたと言えます。 向こうも同じ気持ちだったと思います。
結局同じ高校に進学しました。
高校に入ってからは文理離れたこともあり、 自然と交流の機会が減って、会話が減りました。ライバル関係でいけ好かないところもあったので、「 向こうから喋ってくるまで喋ってやんねーぞ」 という気持ちもありました。
でも相変わらず意識はしていました。
高校3年くらいから、彼は体育を休むようになりました。
学校にも帽子をかぶってくるようになりました。
僕はあまり深く考えていませんでした。
「言ってくるまでは聞いてやんねー」 とばかりになにも聞くことをしませんでした。
大学に入学して、親伝いに、 かなり体調が悪いということを聞きました。
僕は動揺しました。確かに体調は悪そうだったけど「 まぁ死ぬこたねーだろ、はやく元気になれや」 くらいに思っていたので。
大学受験を控えた時期だったので、 どうやら向こうもあえて言わなかった様子でした。
大学1年の夏、友人とお見舞いに行きました。
体を起こすことが出来ず、 こっちの言っていることに微かに笑うことはあるけれど、 自分で言葉を発することはできない様子でした。
こんなことなら元気なうちに、 もっとたくさん話しておけばと思いました。
お前のおかげで辛い勉強頑張れたよ。
高校受験も大学受験も、お前に負けたくない一心で頑張ったよ。
ありがとう。
雰囲気が重たくならない程度に、 精いっぱい思いを伝えたつもりです。
そして、大学2年の夏、彼は20歳の若さでこの世を去りました。
脳腫瘍でした。
あれから月日は流れ、今思い返すと、こういうことを思います。
"たまたま彼が亡くなったけれど、僕が死ぬ可能性も全然あった。 "
生活習慣が悪かったわけでもない、 危ない活動をしていたわけでもない。
僕と彼との間にいかほどの違いがあったのか。
なにもありません。僕は運がよかっただけ。
あのとき病気を宣告されるのは、僕であったかもしれない。
当たり前のように、「この先の人生」があると思っていたけれど、 それは決して当たり前じゃなくて、 今この瞬間にはもう人生が終わっていた可能性が自分にもあるわけです。
20歳から今までの6年間。
振り返れば本当にいろいろありました。
別人になったといっていいくらい成長した、変わったと思います。
それらが全部、なかった可能性もある。
それはそれはとても恐ろしい。
そして、それはこの先の人生でも同じです。
本当に突然に、「これにて僕の人生、完結」となる可能性がある。
いやいやなにも終わってないよ、と。
いろんなことを勉強してきて、 成長できるようにといろいろな経験を重ねてきて。
これからやりたいこといっぱいある。
出来るようになりたいこともいっぱいある。
でもそんなこと関係ありません。 終わるときは突然終わるのでしょう。
積み重ねてきた数々の伏線を、 何も回収することのないまま打ち切られた漫画のように。
「残念ながら打ち切りです。運がなかったですね。」
そう言われれば、どうあがこうと続きを描くことはできません。
そういう可能性を、乗り越え続けて"今"がある。
"これから"がある。
自分が生きていることを、 当たり前のように感じてしまうこともあるけれど、 それは決して当たり前なんかじゃない。
幸運に恵まれた結果。
そして、突然不幸がふりかかってくる可能性が" いつでも誰にでも"あることを、 僕たちは覚悟していなきゃいけない。
たまに、彼のことを思い出す度に、こういうことを思います。
来年はお墓参りに行けるといいな。
おしまい