めおとつーりんぐ

自転車世界一周を目指す「まこと」と「ともみ」の夫婦ブログ

めおとつーりんぐ

留年した話⑤〜最終話・そして再び大学へ〜

 

こんばんは。まことです。

 

長々書いてきましたが、今日で最後になります。

最後、大学へ戻るところです。

もう少しだけお付き合いください。

 

バックナンバー

あらすじ

大学を休んで実家に戻り、安らぐ家族のもとでゆっくりと時間を過ごす。

けれど未来のことを考えるたび、埋まらない理想の自分とのギャップに絶望する毎日。

でもある日、ボキボキに折れた心の中に、たった一本だけ残っていた気持ちを見つける。

「この先どう生きていくとしても、おれは大学を卒業していない自分をきっと許せない。

自分が納得して人生を歩むために、大学だけは出ておかなくてはいけない。」

 "なんとなく"で全てを決めて、一度も自分で決断したことのない人生を歩んできた僕は、20歳にして生まれて初めて、決断をする。

「大学にもう一度行く」という決断を。

 

 

f:id:Maaaaaaa:20180801205203j:plain

 最終話・そして再び大学へ

戻ると決めて、両親に伝えると、それはもうほっとした顔をして喜んでくれました。

大学をやめる、と言っていた息子を責めることはなかったけれど、

やはり大学を卒業してほしいなと本心では思っていたのでしょう。

 

このときの僕は、大学へ戻ると決めたものの、心の支えは本当にそれしかない状態。

押せばすぐにでも倒れてしまいそうなくらいぐらぐらしている、まさに風前の灯。

この段階では、大学を卒業したあとのことなんてとても考えられませんでした。

とにかく卒業さえできれば、一歩前へ進むことが出来るんだ。その一心でした。

 

自分は自分の人生から逃れることはできない。

目が覚めたら他人になっていました、なんてことは起こりえない。

良い人生を生きようと思ったら、自分の人生を一歩一歩自分で良くしていくしかない。

 

「とにかく大学だけは、大学だけは…。」

何度も自分に言い聞かせました。これだけが心の拠りどころ。

 

この自問自答の中で得たものは、強烈な目的意識です。

初めて、どうやって生きていけばよいか、生きていきたいかを真剣に考え、

見つけた、「大学を卒業したい」という気持ち。

この気持ちだけを糧に留年を乗り越えることが出来たといっても過言ではありません。

 

大学へ戻るためのハードルは二つありました。

一つ目は、「勉強」です。

 

なにせ1年生の時から一度もまじめに勉強したことがありません。

3年生の科目を解くためには1年生の科目を理解していなければいけません。

1年から3年までの勉強がドサッと。

昔の自分だったら目眩がして逃げ出してしまいそうになる場面です。

 

散々逃げてきた勉強に、向き合うときでした。

 

大学に入って初めて教科書を読みました。

大学って勉強するところなんだな、なんて当たり前のことを思いました。

 

そして勉強時間確保のため、あんなに好きだった麻雀を完全に断ちました。

自他ともに認める麻雀中毒だったけれど、自分の人生のためにやめる事ができました。

 

買うだけ買って開く事のなかった教科書たちを本棚から引っ張り出して、

片っ端から噛りついているうちに、あることに気付きました。

「あれ?わかる気がするぞ…?」

 

着実に一歩ずつ、初めから理解していけば、さほど難しくないように思えました

時間はかかるけれど、ひとつずつひとつずつ

分かったらその次へ。

 

それはまるで、一歩ずつ良くしていくしかない自分の人生のようで、

前に進んでいくのが楽しい、と思えてきました。 

 

 

もう一つのハードルは、「周りの目」です。

というかこいつの方がやっかい。
 

まわりから貼られる留年というレッテル。

一つ下の学年に交じって授業を受けなきゃいけない情けなさ。

向けられる好奇の目。

 

同級生にはあれあいつ大学戻ってるって目で見られますし、

一緒に授業受ける一つ下には、なんだあいつって目で見られます。

留学とかされてたんですか?なんて聞かれたこともあります。

すみません、そんな高尚なんじゃないんですよ。

って笑って答えた気がします。

つらかった。

 

そもそも留年に絶望したのだって、ストレートに進む友達がいたからです。

それと比較して絶望するのです。

もし大学に自分しかいなかったら、きっと留年なんてどうってことないんですよ。

 

 

そんな中でも戦いは始まります。

とにかく最初の授業、ここが勝負と思っていました。

ミッションは情報網=友人の確保です。

 

相当人見知りな僕ですが、なりふり構っていられませんでした。


教室を見渡して、あまり周りとつるんでいなそうでかつ話せそうなやつ。

探して、片っ端から話しかけました。

留年野郎にいきなり話しかけられるわけですから、向こうも警戒します。

普通に考えて付き合ってもいい事なさそうですしね。


そんな中、ひとり、なんとかゲットしました。

最初は絶対なんだこいつって思われたと思いますが、

そんなことでめげてる場合じゃありません。

必死で関係づくりに奔走しました。

 

うまく実験の班がかぶってくれたりして自然に話す機会ができ、

結局彼とは卒業までつるむ仲になりました。

 

 

なんとか情報網もゲットし、学校にいるときの話し相手もできて、

状況が少しずつ良くなってきました。 

 

ろくに学校に行かず、たまに行っても授業の始めだけ。

出席に〇をつけると、すぐ雀荘へ向かっていたあの頃。

 

毎日授業にちゃんとでて、お疲れと言って友達と別れ、帰る。

ずっとやってこなかった当たり前の大学生活がそこにはありました。

 

 

少しずつ少しずつ、自分の人生が良くなっていく実感がありました。

 

 

そして、最初の中間テストが終わったとき、事件は起きました。

 

テストが解けたんです。

3年生の科目は、統計力学量子力学、物性物理学…

大学で学んだことの集大成のような難しい科目たちです。


大学に入ってから一番難しいテストのはずなのに、

大学に入ってから一番解けた実感のあるテストでした。

 


自分は勉強ができないんじゃなく、やってこなかっただけなんだと分かりました。

とても安心しました。

 

ストレートに進級した友達をすごく頭のいい遠い存在だと思っていたけど、

実際はそうじゃなく、やれば誰だってできるレベルのものでした。

 

1つ下の学年にも話を出来る友人が何人か出来ました。

プライベートで遊ぶような間柄ではなかったけれど、

学校に居場所があるというのは嬉しいものでした。

 

先に4年になり、研究室に配属された友達とも、

付き合いが復活して、情報も入ってくるようになりました。

このあたり、うまく留年したことによるメリットを活かすことが出来ていました。

 

どんどん良いサイクルに乗っているのが分かりました。

 

 

…あぁおれ、大学卒業できそうだ。

 

日々実感は大きくなっていきました。

僕が求めていた大学卒業はなにも特別なんかじゃなかった。

心の底から安心しました。


大学へ戻ってからずっと張りつめていた僕の気持ちは初めて緩み、

目からは涙があふれていました。

 

エピローグ

最初は大学卒業だけが拠りどころだったけれど、

そのうち今後の進路を考える余裕も出てきました。

留年から立ち直る中で幾分か自信もつきました。

 

結局その後は、大学院に進学し、大手メーカーへ就職しました。

あれほど遠かった普通の人生、戻りたいけど戻れなかったレールに

戻ることが出来きました。

 

ろくに自分の将来を考えることをしなかった僕が、

留年という壁にぶち当たり、初めて自分と向き合って、

「大学を卒業したい」という本当の気持ちを見つけ、

それに向かってがむしゃらに努力した。


普通の人は留年なんかしなくても大学なんて卒業できるかもしれない。

でも僕にとっては人生において必要なステップでした。

 

あのままなにも考えず、自分に向き合うこともせず

なぁなぁに生きていたらと思うと、本当に恐ろしい。


留年した、なんて言うと人は笑うかもしれません。

でも全然気になりません。笑いたきゃ笑えです。

「留年しなかった自分の人生」よりも今の「留年した自分の人生」の方が、

絶対にいいものだと思えているからです。

 

僕にとって、人生を変えてくれたかけがえのない経験です。

留年という逃れられないトラブルをつきつけられたことで、

一段成長できた、せざるを得なかった、というお話でした。

 

思い入れのある出来事なので5編と非常に長くなってしまいました。

もしお付き合いいただいた方がいらっしゃいましたら、

本当の本当にありがとうございました。

 

最後に、

留年してよかったこと

・自分に向き合い、本当になにをやりたいのかに考えることができるようになったこと

・自分の人生は自分で良くしていくんだという意識が持てたこと

・やればできるという自信がついたこと

・無条件に自分を支えてくれるひとがいるってわかったこと

悪かったこと

・一つもないです。本当に。

 

おしまい