どうも、ゲームが好きです。まことです。
ゲームって楽しいですよね!最高!
特に対人ゲームが好き。テレビゲーム以外のゲームも好き。むしろそっちの方が好き。
突然ですがオープンワールドのゲームって好きですか?
僕はとても苦手です。
そこで、今日はなぜ苦手か考えていきたいと思います。
まず「ゲーム」ってどういうものか考えましょう。
ゲームの基本にして最大の特徴に「ルール」があります。「ルール」があることが絶対です。ルールによって各プレイヤーの持つ"特定の能力"のみが抽出されます。頭のよさだったり、足の速さだったり、嘘のうまさだったり。だからあっちのゲームでは歯が立たなくてもこっちのゲームでは負けない、ってことが起こる。
「ルール」の本質は「縛る」ことです。これやっちゃダメ、あれやっちゃダメ、というもの。
将棋は2手連続で指せません。1手交代。歩は1マス前にしか進めません。
サッカーは足しか使っちゃダメです。
マリオはコントローラを使って操作。敵に当たったら死にます。行動は歩く、ダッシュ、ジャンプのみ。
ゲームごとに色んな「縛り」があります。
縛りを設けた結果、発揮できる能力が限定されて、前述の"特定の能力の抽出"が起こるわけですね。
ここからが大事なのですが、出来ることがどんどん少なくなっていくと、そのゲームの世界はすごく狭く、そして「簡単」になっていきます。
「簡単」になるとどうなるか。
「攻略」が可能になります。
オセロってコンピュータによって完全解析されてるじゃないですか。コンピュータは全ての場面でオセロの最適解がわかっている。
あんな感じで、完全解析まではいかなくても、大体のゲームでは少し頑張れば6〜9割の場面で最適解がわかるようになってますよね。そして10割理解することも不可能ではないような気もしてくる。「世界が狭い」からこそ、その世界を全部知ることができるかもしれないと思えるわけです。
自分の力でこうすれば上手くいくんじゃないかと仮説を立て、検証を行って、攻略理論を構築していくことはゲームの最も楽しい部分だと僕は思います。
ルールによって縛られているからこそ、その世界が限定的だからこそ、上手くなれるし、上手くなろうという気になる。
さて、オープンワールドゲームの特徴ってなんでしょう。
「自由度」ですよね。
広大なマップ、多彩なアクション。ゲームの最大の特徴である「ルール(縛り)」をできる限り取っ払って、なんでもありを実現しようとしたものですよね。
ゲームであるにも関わらず、その世界を攻略しようと思えないほどの「縛られなさ」なのです。
そしてこの「縛られなさ」が僕みたいなゲームを"攻略"したい頭でっかちタイプには相性が悪い。
これだけ選択肢があると、まず、なにから究めようかと考えるところから始めてしまうのです。そして、そのゲームにハマる前に、どれだけ「攻略」に膨大な時間がかかるのかがわかってしまい、やる気がなくなる。僕がオープンワールドを楽しめないのはそういう理由だと思います。でもたぶんそういう人いっぱいいますよね。
とりあえず「やる」ところから始めればよいのに、目の前に膨大な選択肢を提示されると「なにからやればよいか考える」ところからスタートしてしまい、あれこれ考えているうちにめんどくさくなって結局やらない。
さて、一度「ルール」の話に戻りましょう。ゲームは「ルール」によって縛られているのでした。
では、この「ルール」を取っ払っていって、"最高に縛られないゲーム"ってなんだと思います?
「人生」ですよね。
人生ってゲームみたいなもんです。そしてその性質はオープンワールドに限りなく近い。オープンワールドの規模拡大版です。
なんでもありですよね。舞台が広すぎるし、やれること多すぎる。どうやっても生きられる。もはやゲームとしてはとても成り立たない自由度を誇ります。
だから、人生を攻略することは不可能です。
全部どころか、一要素でも究められれば御の字。成功のための理論なんてみんな自己流で、それはきっと生き方の最適解からはほど遠いものでしょう。
人生にはオープンワールドを軽く超える膨大な選択肢がある。
"オープンワールド"を目の前にすると「なにからやろう」から考えてしまう僕は、"人生"を目の前にしても同じように「なにからやろう」から考えてしまいます。
なにやろっかなって考えて、あれこれ考えるけど、結局やらない。
とにかくまず行動すりゃいいのに、それができない。
これってマジで人生楽しめてないって思いませんか?
ホント行動力ないのはダメなところ。
楽しもうとゲームをプレイしているのに、その辛い事実をつきつけられているようで。
そんなことは自分が一番よくわかっているのです。
でも簡単には治らない。少しずつしか良くならない。
オープンワールドをいまいち楽しみきれない時、すごくもやもやした気持ちになるってお話でした。
おしまい