こんばんは。まことです。
今日は留年した話part3です。
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前回までのあらすじ
麻雀にのめりこみすぎ留年。自分でも気付かない間に「普通」ではなくなっていた。どれだけ頑張っても、もう元通りのレールには戻れないと悟った僕は、ついに大学へ向かうことが出来なくなりました。
では始めます。
実家へ
大学へいけなくなった日の夜でした。
‥trrrr、ガチャ
「はい?」
「あ、母さん?ちょっとさ、実家帰ろうかと思うんよ」
「……わかったわい。帰っておいで」
限界に限界を迎え、苦悩の果てにたどり着いた僕の決断は、あっさりと受け入れられました。
こんな勝手な事を言って、何を言われるかわからないなとかなり身構えていたのですが、予想外にあっさり受け入れられ、少し拍子抜けしました。
同時に、とてもありがたいなと思いました。
「どうしてそんなこと言うの」
「大学はどうするの」
そんなこと言われた日にはきっとその場に崩れ落ちて電話を切ってしまっていた。
それくらい、そのときの僕は追い詰められていました。
この時期は少しでも大学のこと、留年したこと、大学の友達のことが頭をかすめようものなら、ものすごい胸騒ぎがして動悸が激しくなりました。それくらい弱っていました。
ちょっとでも遠くへ、逃げてしまいたかった。
大学のある名古屋と実家のある愛媛が物理的な距離のうえでも離れていたこともあり、これでやっと少しは落ち着ける、辛い現実から逃げられるんじゃないかと思えました。
そして翌日、すぐに荷物をまとめて帰りました。
一刻も早く逃れたい。大学から、名古屋から。その一心でした。
夜行バスが出発する名古屋駅までの移動中も、無心で、死んだ目をして、ひたすら何も考えないようにしていました。
翌朝、夜行バスは愛媛へ到着しました。
そして、迎えに来てくれた両親の顔を見て、本当に、すごくほっとしました。
後期が始まって約3週間、一度も安寧が訪れなかった僕の気持ちを少し元通りにしてくれました。
留年してから心の底から笑えたことなんてない僕が、今の自分にできる最大限の笑顔をつくり言いました。
「…ただいま。」
「…おかえり。」
大学を留年し、さらにほったらかして帰ってきた息子に対して、それを責めるようなそぶりをほんの少しも見せず、ただ息子が帰ってきたことを喜んでくれているような声と表情でした。
本当にありがたかったです。嬉しかったです。親ってこういうもんかと思いました。
こっちからなにか与えなくても無償の愛を与えてくれる。
基本世の中の関係ってギブアンドテイクです。付き合っていてお互いにメリットがあるから一緒にいるわけで。
僕は麻雀バカだったから、大学では与えられるものがなにもありませんでした。話のタネだって麻雀のことしかないから楽しんでもらえないし、勉強もできないから誰かに教えることはなく教えられるだけ。
こんな一方的な関係を友人とは言いません。
それでも完全に見放されはしなかったけど、やっぱり対等な目線で付き合うことは無理でした。その関係が辛くて辛くて仕方がなかった。
"こっちから与えられるものがないと人と対等に付き合ってはいけない"
"でも与えられるものなんてない"
理屈で考えれば考えるほど引け目を感じ、このどうしようもなく重たい気持ちに縛られ、大学にいけなくなった。
そんな中、どうしようもない僕に向けられた両親の笑顔とあたたかさ。こっちがなにも与えなくても、むしろ迷惑をかけたって、それをそのまま受け入れてくれる。
実家に着くと、一緒に住んでいる祖父や祖母まで出迎えてくれ、「ゆっくり休め」と声をかけてくれました。
ああ家族ってなんてあたたかいんだろう、なんて贅沢なんだろうと思いました。
自分がそこにいるだけで、この人たちにとっては嬉しいことなんだなって感じました。
真に見返りを求めない関係。そんな関係って家族だけでしょう。
家族って特別なんだと、強く思った日でした。
最後に
家族のあたたかみを知った僕。しかし僕は、そのあたたかさに甘えきってしまいます。次回は実家編。もう一度大学へ行こうと決意するまでの話です。
それでは。
おわり